アフガニスタン山の学校支援の会

これまでの歩み

これまでの活動の主な変換

2003

長倉洋海が、山の学校に窓・扉を取り付け、机・椅子を搬入。
サフダル校長より給与支援、村人から中学校設立の要請を受ける。

2004

NGO「アフガニスタン山の学校支援の会」設立。会員募集開始。
教職員の給与支援開始。中学部(9年生まで)併設を決定。
中学部を担当する女性教師を新たに雇用。女性教師の送迎と地元 の救急車の役割を兼ねて車を購入。

2005

物価高騰のため、給与支援増額(20ドル増)。

2006

「大統領になりたい」と語っていた4年生のハーン君が死亡 (ソ連軍との戦争中に家の壁に隠されていた弾薬に引火、爆発)。

2007

学力テストで山の学校がパンシール州で一番に!
山の学校の車を買い替え。
JICA主催の教師再教育プログラムに山の学校の教師の参加を 決定。

2008

新校舎建設の知らせがアフガニスタン政府より入る。
教師研修の成果が表れ始める。教師たちのさらなる研修継続を支援。
物価上昇が激しく、給与支援増額(10ドル増)。

2009

サフダル校長が体調を崩す。
辞めた女性教師の補充。2名を採用。

2010

7月末、サフダル校長が病死。遺児のための育英基金を募る。
研修を終えた教師のアフガニスタン政府からの給与がアップ。

2011

東日本大震災の映像を見せた子どもたちからメッセージや絵を寄せられる。

2012

会所有だった車を売却し、送迎の業務委託契約を締結。

2013

5年がかりで新校舎完成! コンテナ教室やテント教室もようやく役目を終える(旧校舎も継続使用)。
低学年を教えていた優しいカリマ先生が急死。
当初予定の10年間から3年間活動延長を決定。

2014

卒業生たちが続々と国立大学に合格! 漠然とした夢が現実的な夢に。

2016

2015年秋にパンシールで発生した地震の被災者への義援金を募り、配布。
翌2017年4月より第2期活動開始を決定。

2017

卒業生が教師になって山の学校に戻ってきた
3月末をもって第1期活動を終了。
4月より、第2期活動をスタート。

2018

映画制作がスタートし、監督が現地訪問団に同行
苦労して大学を出て地域に貢献する卒業生と再会

2019

マスードの息子と再会。共にパンシールへ向かう

2020

図書館建設の計画が地域の人々から持ち上がり、会も建設資金の一部を支援

2021

完成した図書館を訪問会が制作したマスードについての絵本を子どもたちに配布
8月15日、タリバンが首都を制圧。状況は一変し、子どもたちは山へ逃げたり首都カブールへ脱出した

2022

8月に一部の教師と児童によりようやく学校が再会。
しかし戦闘がいつ起きてもおかしくない状況が続く。
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