「フォトジャーナリズム祭で考えたこと」

 

毎年9月、南仏のペルピニャン市で国際フォトジャーナリズム祭が開かれる。

 18回目を迎えた今年は、私の招待作品「マスード敗れざる魂」展のほかにも29もの写真展が大聖堂などの歴史的建物で公開された。

 写真祭は、いままで欧米を中心に200万人が参加した世界最大規模のもの。 文部大臣はじめメデイア関係者や知識人、さらには作品の売り込みをと世界各国から二千人 以上の写真家が集い、街はにぎわう。さまざまなイベントが続くが、連夜の野外スライドショーは人気を集めた。巨大スクリーンに20ほどの演目が上映されるが厳しいテーマだけではない。世界各地の家族を訪れ、一週間の食材を食卓に並べてもらう作品には盛大な拍手が起きた。
 息を飲んだのは、チベット鉄道を敷設する労働者たちを一年以上も追ったドキュメント。額の汗、小さなテントに布団を巻いて蓑虫のように寒さをしのぐ姿、荒野いっぱいに広がる事故犠牲者の墓に胸が詰まった。中国のチベット支配強化への加担者と切り捨てることもできるだろうが、この労働者たちに心を寄せられなくて、どうしてチベット人たちの辛苦に思いを馳せることができるだろうかという気持ちも湧いてきた。
 大きなテーマでなくても、人間に目を向け、社会を作り上げる一つ一つの事象を写した作品の数々に、私は魅せられた。翻訳器を借りなくても、十分に伝わってくる。懸命に生きる者、真っ当に生きようとする姿への共感が人の心を打つのだ。

 大量消費や管理社会の思惑が張り付いた情報だけで世界が出来上がっているとするなら、何と薄っぺらで寂しいものだろう。本来、地球も人も、驚きと美しさ、豊かなイマジネーションで満ちているはずだ。その実像と虚像の溝を埋めるのは,世界の果てまでも出かけていく写真家たちだろう。
 過去の報道という枠を大きく超えた作品にも出会った。大聖堂に展示されたイラク戦争の写真だ。中央に瀕死の赤ん坊を抱き,座り込んだ女性。両端には銃を構えた米軍兵士と市民。兵士は、こちらにも銃を向け,今にも撃ち出しそうだ。解説には、イラク戦争のイメージを重ね合わせ、エキストラを使って撮影したものと記されていた。ここには報道とアートの壁も、フィルムかデジタルかの議論もない。何に目を向けるべきかだけが問われている。

 日本では、報道写真を目指すのはもう古いという人もいる。もし、そうなら、写真を一つのニュースや事柄だけに限定させてしまい、イマジネーションを奪ってしまっているからではないだろうか。報道の語源であるフォトジャーナリズムとは元来、広く万象に目を向け、人々の関心あるテーマに迫るもの。時間がたてば見向きもされなくなる写真ではなく、歳月を経ても何かを訴え、さらに新しいイメージが湧いてくるものだ。

 人間を知り,自分を知るためには他者と出会うしかない。そんな「出会い」を求める熱気が写真祭にはあふれていた。写真は世界を写し出すだけでなく、外の世界と交わり、自分を写し出す道具でもある。そして、見る側の想像力も問われる。だからこそ、今も輝きを失わず、大勢の人が写真祭に集ってくるのだろう。
 フォトジャーナリズムとは、写真を通して世界につながろうという意思であり,決意だ。心に届く、その一枚一枚を積み上げていくことで、今までとは違う、新たな世界が開けてくるののではないか-写真祭から帰って,私はそう思っている。

    長倉洋海