高度成長を続ける東南アジアの中にあって、フィリピンはどんな変貌を遂げただろうか。私が足繁く通ったのは1980年代後半。反マルコス闘争が燃え盛る中、人々の生活を見つめることでフィリピンの現実に迫ろうとした。スモーキーマウンテンのスラムで伝染病になったこと、選挙期間中、投票箱を盗んだ車を追いかけ基地に入り込んで軍兵士に暴行を受け、カメラを奪われたこともあった。ネグロス島では飢餓のサトウキビ労働者の家族を尋ね、北部ルソンで共産党の武装組織・新人民軍に従軍した。その当時、マニラ首都圏には、農村から仕事を求めてやってきた人々の粗末な家々が膨大な数のスラムを形成していた。
17年ぶりに訪れたフィリピン。高層ビルが林立する一方、まだ多くのスラムが残っていた。しかし、スラムも高層化が進んでいるのに驚いた。この家は5階建てだが、中には便所も水道もなかった。各階に2所帯が住んでいた。
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ドゥテルテ大統領の強権政治で、汚職が減り、治安は改善されていたが、滞在を重ねるうちに、それを手放しでは喜べない状況があることを知った。首都の過密と三時間を超える交通渋滞などを理由に、首都機能を北部ラルラックに移す計画が進行していて、現地ではすでに学校や病院が建設されているという。新都の電力を確保するためマニラ北部の山岳地帯に広大な土地を接収して巨大ダムが建設される計画で、資金は中国やマレーシアの企業が担うというが、そのために山岳部に住む先住民アエタが移転させられることになる。
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雨期のフィリピン。庶民の足のジプニーも電気自動車化が法律で義務ずけられ、買い替えを迫れれた多くの運転が頭を抱えていた。写真はバスから見たタルラック近郊の町で買い物をする人々。
危機感を募らせる各地のアエタが集まる集会を取材した。タルラック近郊の小さな市民ホール。屋根があるだけで、壁はなく、雨季の猛烈な雨が容赦なく入り込んで来る中で、人々はコンクリートの床にマットを敷いて眠った。
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集会で踊る
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狩りで使う矢を見せるアエタの若者、彼らは半農半猟の生活を続けている
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ホールで眠る
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手巻きのタバコを吸う
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雨の中、トラックで、それぞれの村に帰るアエタの人々。
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集会に参加した人の家を訪れた。土間には空き瓶を使ったランプがあるだけで、20年前に訪れたネグロス島や北部ルソンの山岳地帯を思い出した。この家の夫婦は「これが私たちの生活です」と話した。
もちろん、貧しい人ばかりでない。首都の立派はショッピングモールは大勢の人で賑わい、そのレストランは家族づれで賑わったいていた。しかし、それらの繁栄から取り残された人々がいるのが、フィリピンの現状だ。先住民やスラムの人々にしわ寄せして成り立たせようとする「成長と繁栄」とは何なのか。
その問いは、今もそうしたあり方を続けている日本にも、そして、それを見過ごしている私自身にも突きつけられた問いのように思えた。
2018年9月24日 長倉洋海
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