3月3日から一週間、東北の被災三県を訪れていました。現在の被災地の姿を自分なりに切り取ってみたい、そう思ったからです。
*宮古の浄土ヶ浜*
まず訪れたのは岩手県の宮古。そこで、「だけど、くじけない」(NHK出版)に登場してくれた一年生たちと再会。赤いハッピを着て、宮古ソーラン節を踊ってくれた子たちがもう中学一年生に、仮設住宅で幼い弟を抱き上げた凛さんは高校を卒業し、家でカブトムシを見せてくれた海斗君は中学三年生になっていました。
小学校から見渡す限り、低地の家はほとんど残っていませんでしたが、いまは新しい家が建ち始めていました。しかし、海を隔てるように巨大なコンクリートの壁が作られていました。「海が見えなくなる」という住民の声に、行政側は「では、窓を作ったらどうでしょう」と実際に窓付の壁を作ったという。
*宮古のコンクリート壁と作業員*
*コンクリート壁の厚いガラスの窓*
そのあと南下し、街全体が壊滅的な被害を受けた陸前高田、そして気仙沼を訪れました。気仙沼の大谷海岸では、「退職金をつぎ込んだ作った家が流され、復興公営住宅に家賃を払って住んでいる」という男性は、「50年、100年後、コンクリートは劣化してゴミになってしまう。それよりも山に向かう道路をたくさん作って、すぐに逃げられるようにした方がよかった。でも、そうした声は押し切られてしまった」と話してくれました。美しい松林が海岸線を護っていた東北はすっかり姿を変え、重機やトラックだけが走り回っていました。
*宮古市田老海岸のコンクリート壁とプレハブ施設*
*陸前高田の「奇跡の一本松」*
宮城県石巻では大川小学校を訪れました。市内から車で30分がかかりますが、学校の手前を流れる北上川はおだやかな流れで情緒にあふれていました。しかし、この川を遡った津波が74名の生徒と10人の先生の命を奪ったのです。
*北上川*
*大川小学校*
*寺のはずれに置かれた観音像*
次に訪れた宮城県。前に撮影した名取市の閖上中学を訪れたかったのですが、解体され、新校舎が出来上がっていました。そこから常磐線で二時間、福島県の浪江町に入りました。昨年3月、退去命令は解除されましたが、帰還した住民は1割に満ちません。通りはたまに車が通るものの、まるで無人の町のようです。家にも人の姿はなく、戸が倒れた金物店に入ると、時計が地震のあった時間で止まり、居間の日めくりカレンダーは3月11日以降、めくられていませんでした。浪江小学校の玄関にあった下足棚には、子どもたちの靴がそのまま残っていました。ここでは、あの日以来、時間が止まったままなのだと実感しました。
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*ものが散乱したままの家*
*レンタル店に放置されたままの高級車*
*浪江小学校の玄関*
被災地で見た、「失われた生活と風景」。それに、未来を見据えることなく漂流している日本の姿が重なりました。それでも、どこかにあるはずの「未来への種」を探す旅に、また出たいと思います。
2018年3月15日 長倉洋海
*気仙沼・大谷海岸に置かれたテトラポット。砂に埋れていた*
*雪が降った翌日。静かに佇む日立浜(宮古)の集落*
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