みなさま、お元気でお過ごしでしょうか。私は5月24日、オーストラリア取材から戻りました。 しばらく更新していなかったので、今回はお知らせすることが満載です。4月上旬には「アフガニスタン山の学校」を訪れました。

 10年で終了する予定だった支援も今年で13年。毎年、訪れるたびに新しい発見がありますし、子どもたちがどんどん成長しているのが手にとるようにわかります。背丈はもちろんですが、高学年になるにつれ、思慮と落ち着きを増し、他者を尊重し、気遣いを持つようになります。その姿は、私に「素直に柔軟にまわりのものを吸収できる大人」になりたいなと思わせてくれます。
 
朝礼で本の一節を読み上げるショーイディン(5年)
心尽くしの昼食を振る舞ってくれるソーミャとナスミア(ともに5年)
本を読みながら、下の高校に通学するマリナ
 
 アフガニスタンから戻ると、1月から編集を進めてい写真絵本「世界は広く、美しいー世界をつなぐ色」(新日本出版社。全6巻)の制作作業が佳境に。4月末には第一巻「赤」の印刷に立ち会い無事に完成。5月初めからはオーストラリアへ向かいました。3月から先住民の伝統的な生活を撮りたいと北部評議会に取材許可を申請していたのですが、返事がなかなか来ないため、直接、現地の出先機関に乗り込んで交渉をすることにしました。特別なコネクションがあるわけではないので、じっと待っているだけでは何も進まないと思ったからです。北部のダーウィンの評議会で交渉を開始したのですが、最終的には、取材希望地のリーダーから「受け入れない」という返事がきて、あきらめざるを得ませんでした。返事を待つ間、町中の先住民を撮ったり、国立公園などを撮りに行ったりしていたのですが、こんなに気持ちを伝えたのにダメなのかとガッカリ。でも、いままでアフガニスタン、レバノン、エルサルバドルと世界各地で体当たり取材を試み、あるときは成功し、あるときは失敗してきました。ですから、「ダメなときもあるさ」と割り切るしかありません。まずは先住民の生活を支えている広大なオーストラリアをヘリやセスナで空から撮りました。そこで圧倒されたのは日本の22倍という広さ。熱帯雨林、砂漠、湿潤地帯が存在する、この過酷とも思える風土の中で、先住民は4万年以上前に渡ってきて生きてきたのです。

 蓮の間を泳ぐ小さなワニ
 
  先住民の文化の中で、私が魅かれたのは洞窟の中や岩などに描かれた壁画です。1トンもあったと推定されるトカゲのような大型動物の絵があったり、動物、人間、踊り、狩り、精霊の絵もありました。近年、沖に現れたヨーロッパからの帆船、彼らの持ち込んできた銃やピストルなどの絵も描かれていました。絵を描くことは日々の出来事を記録する日記帳であり、子孫や仲間たちへの伝承であり、宗教儀式でもありました。そして、生活そのものだったのでしょう。中でも私が最も心が動いたのはアーネムランドのビラゴングス山脈の麓で見た「ハンド・プリント(手形)」の絵です。時を超えて迫ってくる存在感と躍動感。高校の修学旅行で見た、京都三十三間堂の「千手観音」のいくつもの金色の「手」を思い出しました。を見た時のことが思い出されました。その手形は「署名のようなもの」と聞いて、「これが先住民一人一人の『生きた』証だと思うと、心が熱くなりました。「もっと、もっと、人間をことを知りたい。もっともっと知らなければならないことがある」という気持ちで帰国の途に就きました。

 先住民の「生きた証」ともいえる壁画
 先住民が暮らしていた洞窟。光が差し込む場所にも絵が描かれていた
 
  帰国してまもない5月31日、「地球をつなぐ色」の第2巻「青」の印刷が終了しました。「白」と「緑」の印刷は7月、「黒」と「黄」の印刷は8月末、それで6巻が揃います。書店に6巻が並ぶのが待ち遠しいです。7月前半は、サハ共和国(ロシア)の文化祭典ビエンナーレに招待されたので、シベリアに向かいます。昨年冬に、訪れた際に泊めていただいた芸術劇場監督のミーシャさんが私をビエンナーレの主体であるヤクーツク美術館に推薦してくれたことで写真展とワークショップの開催も決まりました。その期間、同時開催される世界42ヶ国の子どもたちが参加するという「アジア・スポーツ祭典」もぜひ、撮影したいと思っています。
 そして、8月6日からはいよいよ「長倉商店塾の夏期集中講座」が始まります。みなさまと東京で、釧路で、あるいは写真展や講演先の会場でお会いできるのを心より楽しみにしております。では、またいつか、どこかでお目にかかれますように〜

       2016年6月1日 釧路に向かう日に   長倉洋海