3月20日、シベリア・サハ共和国(ロシア連邦)から帰りました。北京で飛行機を乗り換えてヤクーツクまでさらに4時間半。着いた翌日から市内で撮影を始めると温度は−30°。永久凍土の上にあるところだけに寒さが足底からシンシンと伝わってきて、さっそく現地仕様の靴を買い替えました。


ヤクーツクでは幸運にも二人のシャーマンに会うことができました。病気の治療をする人と、天候を操ることができる二人のシャーマンです。あとのシャーマンは、旅の安全を祈ってくれ、そのあと南部のタイガ地帯に向かいました。トナカイ遊牧をするエベンキ族の一家を訪ねるためでした。600キロを乗り合いタクシーで9時間。さらに四駆で1時間。そこからはスノーモービルにつないだソリに乗り換えました。雪道ながら悪路のため、激しい振動で振り落とされまいと必死でした。ムチ打ち症になるかと思うほどの激しさです。それに耐えること二時間半。やっと森の中の家にたどり着き、ピュートルさん一家の出迎えを受けました。着くなり、食事が始まり、その日は二時間ごとにトナカイ肉を振る舞われました。翌日、トナカイのソリに乗り、森の中に。その乗り心地に何と快適なことか。このソリだと、スノーモービルの4倍はかかり、村まで一日がかりだというが、早けりゃいいってものじゃないと実感した。写真が撮れない乗り物は嫌だ。その夜、カラ松やシベリア松の合間から見えた星空の美しいこと。ここまで来た甲斐があった思った。しかし、いいことばかりではない。滞在中に、近くで二頭のトナカイが狼に襲われたと無線連絡が入った。家にあった毛皮を見たがその大きいこと。狼は人を襲うこともあるという。ピュートルさんは昨年一年で50頭も襲われ、狼の害が地域の大問題になっていると話す。



そのあと、世界一の寒さを記録したサハの山岳地帯にあるオミャコンを訪れる。−71.2 度を記録した「寒極」までは、車で20時間。サハはインドと同じ面積だというが、人口は100万。北部のツンドラ地帯でほとんど木も生えない地域がひろがる。オミャコンでは山に横穴を堀り永久凍土に達した場所を公開している。人々は「永久凍土が地球を支えている。これが溶けたら地球は水であふれてしまう」と言う。ヤクーツクで会ったシャーマンは「生きた自然の中でこそ、人間もまた本来の姿でいられる。小さいけれど希望は見える。信仰を取り戻すことができれば・・。それは自然に対する信仰です」と話していたのを思い出す。


ヤクーツクからオミャコンまで向かった道は通称「骨の道」。オホーツク海に面するマガダンまで距離は1100キロ。スターリン時代に、反体制と見なされる作家、芸術家、政治犯、軍人、犯罪者などを動員して建設されたが、何万もの人(現地では80万と聞いた)が亡くなったということから名付けられた。権力への欲望、経済優先と環境破壊、戦争・・。人間とは一体、何なのか。私たちはどんな道を辿り、どこへ向かおうとしているのだろうか。




オミャコンでは3月では滅多に見られないというオーロラに出会った。空の高いことまで広がり、滅多にない規模のものだと地元民が話す。その日は−39°。地面に寝転がり、冷えきったカメラに鼻をつけていたせいで、鼻の先が凍傷になってしまった。それを見て、人々は「スネグラチカ(寒さの守護人チェスハーンの孫娘)からキスされたんだね」と言う。サハの滞在は2週間だったが、短い時間の中でさまざまなことを見聞できたことはきっと次の旅につながるだろう。

 2015年3月21日 記
     長倉洋海