みなさま、お元気お過ごしでしょうか。2014年も残すところわずかとなりました。「近況」は約一年ぶりの更新ですが、この報告で今年を締めくくりたいと思います。
 
今年は私にとってさまざまな意味で「激動の年」だった。アフガニスタン山の学校への公式訪問から戻った翌日の6月12日、父が入院。釧路に帰って医師に面談すると、間質性肺炎との診断結果で余命45日ほどとのことだった。できるだけ父親のそばに居ようと決め、45日間以上を父と過ごすことができた。大学、就職、フリーの写真家生活とずっと親元を離れていたから、こんなに父と長くいたことはなかったように思う。病棟の父といろいろなことを話すことが出来た。9月6日、父は遠いところへ旅立った。



父の入院以来、海外取材はできなかったが、講演の移動などの合間に佐賀、大分、北見、網走、屋久島を訪れた。
網走の北方民族博物館はいつか行ってみたいと思っていた場所だった。中でも、「オホーツクのヴィーナス」と呼ばれる像(付近から発掘された)は私の心を捉えて離さなかった。長い時を超えて、なお何かを語りかけてくるような気がした。


佐賀では湯殿の石仏を撮った。やさしい顔立ちの仏と、それを守るために立つ厳しい表情で刀に手をかける毘沙門天の対比に魅かれた。

父を亡くし、新しい地平に立ちたいと思った。自分ができることは何なのか、と考え抜いた末に、「それは自分の生まれ故郷で、学生や若い人たちに自分のいままでの経験を話す場を作る」ということだった。いま私たちはどんな時代に生きているのか。時代に流されない生き方とは何なのか。今の時代を共に見つめ、新しい道を模索していきたい。私の見た世界、出会った人々を通して、現代世界をどう伝えるのか、若い人が世界で見て感じたものをどう書き、撮り、伝えるのをどう手伝えるのか。子ども時代から私には「日本の端にいる」というコンプレックスがあったが、紛争地や辺境の地への旅を繰り返す中で、そこに伝承され、息づいている文化やまわりを思いやる人々の姿に触れてきた。”周縁”にこそ、世界の中心にいると思っている私たちが失ったものがあるはずだーそんな思いを伝え、共有できる場を故郷・釧路に創りたいと思った。その拠点は実家に隣接する、かっての「長倉商店」だ。店舗に入っていたリサイクル店が閉店したのを機に、私が借りることにした。最初の講座の試みは2015年7月と8月とで青写真を描いている。

講座は学生が夏休みの期間、釧路に避暑を兼ねて短期滞在するに人が多い時期でもある。どのくらい参加者がいるのか不安もあるが、楽しみでもある。北見や網走、札幌方面からも参加者が出るといいなあと思う。具体的には春からチラシを作ったり、新聞で紹介してもらうなどの広報を始めるつもりだ。

2015年の予定だが、3月に極寒のシベリアを訪れてみたいと思っている。暑いところが多かったから、寒いところで人はどう生きているのか、生活と表情からとらえてみたいと思う。
5月23日から6月28日まで、吉祥寺美術館で写真展が開催される。そのあとは9月5日から11月3日まで、長野県の小海高原美術館でも写真展が開かれる。2013年に訪れたチャド、パプアニューギニア、トルコ、アフガニスタン。メキシコなどの作品に、写真集「その先の世界へ」をなぞる形でモザンビークやアンゴラ、チベットとウイグル自治区を加えた展示で、トークもできるだけの回数を行ないたいと思う。7、8月は北海道釧路での講座が始まる。そのあとの9月から12月初めにかけては、武蔵野美術大学で「ジャーナリズム論」を教えることになっている。その期間は合間を縫って、前に訪れた被災地の子どもたちを再訪する企画も進んでいる。

年一回の「近況報告」となって誠に心苦しいですが、これからもよろしくお願いいたします。

間もなくやってくる新しい年がみなさま一人一人にとって最上のものとなりますように。また、どこかでお会いできる日が来ますように。そして、そこで笑顔を交わし、やさしく抱き合えますように。 

                    2014年12月28日 長倉洋海