みなさま、お元気でお過ごしでしょうか。

 私は4月23日にトルコから帰国しました。アフガニスタンで山の学校を訪れたあと、パン シール渓谷の上流部ヘンジにあるエメラルド鉱山(標高三千b)で働く労働者やブズカシ(馬上から子牛を奪い合う勇壮な競技)撮影、そのあとトルコに転じ、 国境を抜けトルコに逃れてきたシリア難民、6年前、道が凍って訪れることができなかった東部の山岳地帯にあるネムルート遺跡(標高2150m)を訪れるこ とができました。


山の学校へ転入してきた兄弟

 最初に訪れたアフガニスタン・山の学校では、子どもたちは元気に通学してくる子どもたちに 再会でしました。ただ、馴染みのガーウィン村で、牧童が去ってしまい、再び、子どもたちが学校を休んで、羊の放牧に出かけざるを得なくなっていて残念に思 いました。そして、一番つらかったのは、いつも教室での撮影にも嫌な顔も見せず、「子供たちはオマール(私)に会えることを毎年、本当に楽しみにしている のですよ」と話していたカリマ先生が、私たちの滞在中に急逝してしまったことです。前日まで学校でいつもと同じように教鞭をとっていたのですが・・。その 後、喪に服す意味で、学校は休みとなりました。サフダル校長の病死に続いての悲しいニュースでしたが、それでも、子供たちは今も元気に山の学校に通ってい ることと思います。

 学校の訪問を終えると、前から気になっていたヘンジのエメラルド鉱山を訪れました。千五百 人が働いているとのこと。マスードや戦士たちが外国からの支援を受けることなく、対ソ戦を戦い抜けたのにはエメラルド鉱山の存在が大きく、いつか訪ねたい と思っていたのです。坑道の奥にダイナマイトを仕掛け、穴をあけるとハンマーと鑿でエメラルドを掘り出すという作業ですが、間近で見ることで、その困難さ と危険度が強く伝わってきました。

 山を下りた金曜日、近くのサフェチールの町で、30年ぶりに伝統競技ブズカシを見ることが できました。行く先々で、かって生活を共にした元イスラム戦士たちと出会うことができ、本当に懐かしい気持ちになりました。その中でも、マスードの秘書役 だったDr.アブドラー(元外務大臣)は「権益享受のために権力の座に留まろうとする体制を変えたい」と次期大統領に出馬したいと話していました。彼が大 統領になるかどうかではなく、アフガニスタンに本当の意味での指導者が出てほしいと願ってやみません。

 カブールから航路6時間を経て到着したトルコでは、トルクロード取材を手助けしてくれた ナージと再会、国境を抜けてきたシリア難民を撮影し、そののちアナトリア高原を車で600`移動して、ネムルート遺跡に向かいました。遺跡のある山の高度 は2150bですが、いつも雲で覆われ、尋ねた日も4月末というのに雹と雪が降るほどの寒さでした。やっと3日目の朝、わずか数分ですが太陽が顔を出して くれ、満足のいく撮影ができました。紀元前一世紀に作られた巨像。地面に置かれたその頭を見ながら、この像たちが見続けてきた2千年の時間を想いました。 当時も今も、人というものはそんなに変わらないのではないだろうか。きっと同じように悩み、苦しみの合間にわずかの喜びを見つけ出しながら生きているのだ ろう。悪天候のせいか誰もいない中で、像に向き合いながら、そんなことを思いました。

今回の作品をみなさんに見ていただける機会を是非、作ろうといま売込みをしています。ほかのお知らせとしては9月末から釧路市美術館での写真展に続き、 11月28日(木)から12月9日(月)、コニカミノルタプラザ(東京新宿)で、「大地にうたう」(仮題)展の開催が決まりました。ブラジルの写真展は会 場の都合で来年秋になることが決まりました。

 写真展の会場、あるいは講演会の場で、皆様にお会いできるのを楽しみにしております。        

                       2013年4月26日  長倉洋海