みなさま、お元気でお過ごしでしょうか?

私は2011年1月21日、ミクロネシアのカピンガマランギ島での二ヶ月の滞在を終え、無事、日本に帰りました。

飛行場のあるポンペイ島からカピンガマランギまでは約800`。ポンペイからの船は3〜6ヶ月に一度で、なかなかつかまえるのが難しく、行くときは日本人が所有するヨットをチャーターして五日間かかって、カピンガマランギ島に着きました。航海では、ヨットがあまり揺れるので、このまま沈んでしまうのではないかと思いましたが、無事、到着することができました。何と、39年ぶりの訪問です。その時、泊めていただいていたいたサムエルさんは亡くなっていましたが、一緒に生活していた娘ケシアさんが私を迎え入れてくれました。ケシアはもちろん、多くの島の人たちが、私のことを覚えていれくれたことにびっくり。「ヒロミ!また、来てくれたのか」と懐かしんでくれる人や、海岸で、私に柔道で投げられた」という元少年も三人ほどいました。漁に一緒に行ったことを覚えている人も。感激でした。

周囲一`の島二つに300人が暮らしています。タロイモを植え、パンの実を食べ、ヤシのジュースを飲み、カヌーでマグロを獲りににいく生活を二ヶ月、続けてきました。当初は一ヶ月くらいで帰ろうと思っていたのですが、定期船がなかなか来ず、やっと二ヶ月目に船が来ることになり、ホッとしました。帰りは本島に行く多くの島民と人びとが本島で売るための豚や鶏と一緒の船旅でした。二ヶ月の滞在で、一万枚の写真を撮りました。とても、フォトジェニックな光景にたくさん出会えました。学生時代には見えなかったこともたくさん、見えてきたような気がします。39年の間に、島の海岸線が10mほど削られ、私が暮らした家があった場所もすでに海になっていました。原因は温暖化です。離れ小島のカピンガには病院もクリニックもなく、大病になれば死ぬしかありません。それでも、人びとは自然の恵みに感謝しながら、のんびりとおおらかに暮らしています。 

ミクロネシアが日本の信託統治領だった時代もあったことや、島にも日本軍が駐留していたこともあり、人びとは日本文化にとても親しみを感じています。どんぶりやベントウという単語ばかりか、島民の名にもキシコ、ケイコ、レイコ、サナエ、サトーなど日本名が登場します。楽園のような、この島も、10〜20年で、ほとんどが海に沈むといわれています。そうなれば、この楽園のようなところに暮らす人びとも本島への移住を余儀なくされるでしょう。「地球温暖化」をインターネットで検索されば無尽蔵に情報は出て来るでしょうが、そこに暮らす人びとの表情や姿も見えてきません。それを撮って伝えることができるのは「写真」だと思います。

島では、たくさんの「人の表情」「生きる姿」をとらえることができ、本当に充実した二ヶ月を過ごすことができました。その写真は7月1日(20日まで)の新宿コニカミノルタプラザでの写真展「北の島、南の島」や偕成社から6月末に出版予定の二冊の写真集で見てもらえると思います。

そこで、みなさまとお会いできるのを、心より楽しみにしております。

                   2011年1月29日  長倉洋海