「緊急メッセージ6」
昨夜(8月27日)、アフガニスタン「山の学校」の支援活動を現地で支えてくださった安井浩美さんが最後の自衛隊機でアフガニスタンを離れました。彼女が国外に出る決心をしてから、「無事に出て欲しい」とずっと願っていましたが、乗る予定だった飛行機が人々が空港に詰めかけたためキャンセルとなり、状況が次第に困難になる中での出国だったので、本当に安心しました。
彼女と最初に出会ったのは1992年。アフガニスタンの遊牧民について関心を持っていて質問を受けました。それからの交友です。2001年以降、カブールで生活を始めた安井さん。家も作り、住み慣れたアフガニスタンです。大切なものをたくさん残しての出国。いつ戻れるのだろうか、と悲痛な思いだったに違いありません。多くの人々が彼女と同じ気持ちで祖国アフガニスタンを離れたことを思うと悲しくてなりません。しかし、誰もが、アフガニスタンに光を見出せない中での決断だったのでしょう。
アフガニスタンは今までもたくさんの人が国外に逃れるという災難に見舞われてきました。1回目はソ連軍の侵攻(1979-1988年)による戦火で、パキスタンとイランに400万人が逃れました。2回目はタリバンが国土のほとんど(マスードの地域だけが抵抗を続けましたが)を制圧したときです(1996-2001年)。そして、今回の2021年です。国を支えるべき人材、復興に活躍できる技能者、芸術文化とさまざまな分野の人が出ていくことになり、アフガニスタンは国としてどんどんやせ細っていったのです。
それでも踏みとどまった人たちが国土再建に奮闘してきましたが、国を背負うべき人材をタリバンとアルカイダは「テロと自爆攻撃」で倒してきたのです。マスードとともに戦い、優秀な後継者と私が期待していたダウド(カルザイ政権では内務副大臣となった)は会議の机の下に仕掛けられた爆弾で殺されました。テロで多くの人を巻き込んでも権力を掌握しようとする姿勢を私は許せません。それはほとんどタリバンの体質にまでなっていると思います。その恐怖にも負けず、国を何とかしたいと祖国に戻った人もいます駐日大使となったハロンアミン。彼はニューズウイーク誌で「世界で活躍するだろう100人」にも選ばれた人でしたが、外務大臣に指名される寸前に病魔で倒れました。
アフガニスタンは神に見放された国なのでしょうか。否。倒れた人々の遺志を継ぎ、一度は離れた人々が戻って来られるような祖国を造るために国内に留まっている人がいます。その存在に気づき、声援を送り、少しでも手助けできればと私は願っています。それこそがアフガニスタンに「希望の光」を灯し続けることになるはずです。
カブール空港で自爆テロを行ない、多くの人を死傷させたIS(イスラム国コラサン州)がクローズアップされています。そのことで、タリバンの絶対的な支配状況に陰りが出たように思います。ISはタリバンと対立していると伝えられますが、タリバン内部にはISと関わりがある噂されるともタリバン内の最強硬派で、世界的なテロを繰り返してきたハッカニ・ネットワークがいて大きな力を持っています。過激な原理主義グループが集まるタリバンですから、彼らだけでもこの国を支配するという考えを改め、パンシールのアフマドや各地・各組織、女性代表を交えた交渉を行い、「自分たちの野心のためではなく、国民のための国造り」を進めて欲しいと思うばかりです。それが実現すれば、一度は国を離れた人々もいつか戻ってくるはずです。それがアフガニスタン再建の第一歩、本当にスタートとなるはずです。
山の学校の子どもたちの無事を願いながら。
8月28日 長倉洋海
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