アフガン情勢に関するメッセージ
2022年6月3日


「今日のメッセージ 2022/6/3」

 アフガニスタンから届くのは蛮行と戦闘のニュースばかりではない。夏が近づいてきたパンシール渓谷からはトゥート(松の実)を川の水で洗う映像が届いている。大きな木に鈴なりになったトゥート。白、紫、黒と色が異なる実を雪解け水で冷やして、木陰で家族みんなで車座になって食べるのがパンシール渓谷の風物詩だ。
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春にパンシール渓谷を満開の花で彩ったザルドルー(杏)も市場に並ぶだろう。写真は左から杏、サクランボ、スモモ。赤いのはショー・トゥートだろうか。



 しかし、空が青く晴れ渡り、果物が市場に溢れても、人々の心は晴れないだろう。現在のアフガニスタンは監獄そのもの。監視され閉じ込められ、音楽や芸能を楽しむことさえ許されない。いつ連れ出されて殺されるかもしれないのだ。
ツイッターに投稿されたカブールの色とりどりの住宅街を眺める男性の後ろ姿の写真で、現在のアフガニスタンの人々の心に思いを馳せることができた。


〈標高1800メートルの首都カブール。色とりどりに塗られた民家が立ち並ぶ。ツイッターより〉

 平和的な光景がある一方で、北部、特にパンシール州では戦闘が激化している。タリバン側は毎日、十人以上の死者を出しており、高名な司令官も死亡している。それでも、タリバン側は抵抗戦線の存在を認めない。認めないのに、他の地方で兵士を徴用し次々とパンシール州に向かわせている。北西部のウルズガン州から500名が徴用されたという情報がツイッターに上がっている。(ツイートを表示

 北のタハール州やバダフシャン州でも強引な徴兵が進み、拒むと「家族を殺す」と脅しているようだ。無理やり徴用された人が戦場で盾に使われ、本来のタリバン兵は後ろに控えているらしい。その非人間性に暗然とする。
 しかし、そういうタリバンの戦法は、「自分たち第一で、他者は利用する存在でしかない」と考える大国の政治と似通っているのではないだろうか。タリバンの暴挙に大きな声を上げ、制止できない世界に頼るのではなく、自分たちの血を流しながら屈することなく戦う人々が、私にとっての希望だ。


〈山岳地帯から攻撃を繰り返す国民抵抗戦線。ツイッターより〉


〈「私たちは沈黙しない」とプラカードを掲げる女性たち。ツイッターより〉

パリやトロントに続き、ドイツのフランクフルトでも「タリバンはテロリスト」と声を上げるデモが行われた。

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 しかし、ツイッターを検索中に、驚かされた投稿写真があった。『バダフシャンの少女たちはタリバンを支援するために武装した』という文章が付いていた。
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同時に「バダフシャンの少女たちが主催したブックフェアの後、タリバーンは多くの少女たちを強制的に連れて行き、銃を持たせて写真を撮った。情報を見る場合は真偽を考慮すべき」というツイッター投稿があった。どちらが本当か判断がつかないが、もし、強制的なものだとしたら、タリバンも焦っていることの証拠だと思った。(ツイートを表示


タリバン内部での抗争も伝えられており、いくつかの場所でハッカニ・グループとバラダル・グループとの銃撃戦も報じられている。(ツイートを表示

 タリバンの後ろ盾であるパキスタンでも混乱が続いている。ISI(Inter-Services Intelligence の略。「国家内国家」と呼ばれるほどの権力を持つ軍統合情報局)のタリバン支援は変わらないものの、新政府の対タリバン政策が未だ定まっていないようだ。タリバンから逃れてペシャワールに来ていた音楽家たちが次々と逮捕され、パキスタンの芸術家たちが抗議デモを行った。



パキスタン新政府はタリバンの兄弟組織とも言えるTTP(パキスタン・タリバン運動)と交渉を行ったが、TTP幹部は「パキスタン軍のスワット、マカランドなどの部族地域(パシュトゥーン居住区)からの撤退を求めた」という。一貫してタリバンを支援して来たパキスタンも、それが両刃の剣であったことに頭を抱えているに違いない。

*    *    *

 人々が幸せになるための理想を何一つ掲げることなく、時代錯誤的な利己主義で多くの命と人々の夢を奪い続けているタリバン。その圧政の中で、人々は息を凝らして、この暴風が過ぎるのを待っている。
人々を圧政から解放するためにも、世界にもっと積極的に行動して欲しいと願っているが、世界の目はアフガニスタンの現実になかなか向けられない。メディアの人が「ウクライナの戦争の大きさと死者の多さに比べたら、アフガニスタンは扱いが小さくなる」と考えているせいだろうか。
 しかし、一人一人の悲しみや怒りに共感できない人間が、より大きな戦争でなら、怒りや悲しみを「同じ人間としての痛み」として伝えることができると言えるだろうか。人間が引き起こす不条理や欲望から生まれた破壊や殺戮・・・それは、戦争の大きさや死者の多さによって変わるものであるはずがないと私は思う。
世界を見ることは、自分を見ること。自分が何に感動し、何に心を動かすのか。それを見定めることなくして、人の心に届く報道ができるはずがないのではないか。



 私が今日のメッセージで最後にお見せしたいのが杏の花が咲き誇る春のパンシール渓谷の写真だ。
(撮影:長倉洋海)

「春は必ず巡ってくる。苦難も去っていく時がきっと来る」と私は信じている。
その時、私はまた杏の花の写真を撮りたい。人々の笑顔と共に。

  2022年6月3日  長倉洋海






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