アフガン情勢に関するメッセージ
2022年2月16日


「今日のメッセージ 2022/2/16」

 最初にお知らせしたいのは、拘束されて20日が経ったまま安否が気遣われていた女性活動家パラワナさんが釈放されたことだ。トロ・ニュースがそれを伝えている。(ツイートを表示)
 
しかし、他の拘束されている女性たちはいまだに釈放されていない。米国の特別使節のリナ・アミリは「パラワナの釈放は歓迎するが、他の女性の拘束は続いている。そればかりか2月11日に女性29名とその家族を含む40人が連行された。こうした拘留はすぐにやめるべきだ」とツイートしている。

 また、大学教授で詩人のカンバホシュ・ネコイは「家にタリバンのIDを持った者たちが押し入り、彼と妻を殴り家のものを奪っていった」とフェイスブックに投稿したという。(ツイートを表示)


同じ事件を伝えるツイッターでは、押し入った者の人数は23名だったとある。単なる物盗りとは思えない。(ツイートを表示)

 国連アフガン支援ミッション(UNAMA)が、タリバンに対し女性たちの「失踪」に深い懸念を伝え、改善の申し込みをしたとツイッターに投稿した。いつものように「納得する答えを用意します」とタリバンの第3副首相代理は応じているが、「1人を釈放して、40人を拘束する」という理解不能な行動は今も殺人や不当逮捕という形で続いている。(ツイートを表示)
 
この会談の直後、2人の外国人記者が拘束されたというニュースが流れた。タリバン報道官は当初「そうしたことは確認されていないが、きっと正規の記者証がなかったのではないか」と応えていたが、彼らが国連難民高等弁務官事務所から派遣された記者だとわかると、すぐに釈放した。(記事を表示

 多くのアフガン人にとってタリバンは、暴力で人を威嚇し、時には簡単に人を殺してしまう恐ろしい存在だ。そのタリバン支配下の人権現状をBBCが鋭く伝えている。女性たちが「怯えと恐怖」を乗り超えるように切々と証言している。番組では、女性活動家2人が失踪し、死体で見つかった現場のレポートも入っている。

(このBBCニュースを表示

バグラン州では、有名なブズカシ競技の選手が、白昼、テロリストに惨殺されたという。「これを拡散してください」という悲痛な声とともにツイッターに投稿されている。(ツイートを表示

NRF(国民抵抗戦線)の外交部長アリ・ナザリーはツイッターで、「タリバンがカブールで少なくも9人(米国人1人とイギリス人数人)の外国人を拘留していて、国際援助が必要な時にその人質を取引材料に使おうとしている」とするウォール・ストリート・ジャーナルの記事を添付して、タリバンの人質を取るやり方を明らかにしている。
ツイートを表示
記事を表示) 

 拉致や殺害を改めようとしないタリバン。彼らの本質を窺い知れる記事を見つけたので紹介したい。今までも何度か引用させてもらったWebサイトの「ウエッブ・アフガン」に書かれていた2つの記事だ。ひとつは公務員の給与が削減された上、何ヶ月も未払が続いているのに、タリバンは15,000人のムラー(イスラム僧)を公務員として雇い、給与を支払っているというもの。ふたつ目は、国内で女生徒の多く(小学校と一部の大学を除いて)がまだ学校に行くことができないでいるが、海外、特にカタールにいるタリバン幹部たちは、彼らの息子と娘を学校に通わせているという記事だ。(掲載ページを表示。このページにある2/5付けと2/8付けの記事をご覧ください)

 かつてのタリバン統治時代(1996-2001)、女性の教育は禁じられていたが、タリバンの拠点である南部カンダハール州のタリバン幹部は「秘密の学校に娘を通わせている。学校支援に感謝している」と現地を訪れた日本人に話したという。タリバンの、このダブル・スタンダード(二重規範)こそ、彼らの本質のひとつであるように思う。
 最近カブールを訪れたジャーナリストの舟越美夏さんが、Yahoo!ニュースで『タリバン暫定政権下のアフガニスタンを歩く』という連載記事を掲載している。その中で、タリバンが家族のために買い物にくるブティックや、よく食べにくるという高級レストランを取材しており、タリバンのダブルスタンダードぶりが明らかにされている。また、「平和に見える昼のカブール」と全く違う「恐怖が支配する夜の顔」があることもレポートされている。
今までの日本人特派員の記事とは違い、一歩も二歩も踏み込んだ迫真の報告記事だ。視点によって、こうも文章も写真も変わってくるのかと思わせられた。是非、ご覧いただきたいと思う。

(舟越さんの記事からの転載した写真です。)
舟越さんの記事を表示

記事の中には、雪が降る中、お客を待つ靴磨きの少女の写真もあった。


 今日、お伝えした記事から、タリバンの「綻び」というよりも、彼らの「本性」が見えてくるように思う。それは彼らが、目の前の人々、そのひとり一人よりも、『独自のコーラン解釈と、それに依拠する自分たちを何よりも誰よりも大切に思っている』ということだ。コーラン解釈にしても実際の統治にしても、彼らが物事の一面しか見ていないのは明らかだろう。その偏狭さは戦争によってもたらされたものかもしれない。しかし、人は出会いや学びによって変わることができる。その謙虚さこそ、人を人間らしくさせる最も大切なものだと私は思っている。
 アフガニスタン抵抗運動の指導者マスードは戦争の中にあったが、人との出会いから、コーランから、そして詩から、いつも何かを汲み取ろうとしていた。私たちが、平和の中にあってもなかなかそれが実践できないことを考えれば、マスードは稀有な存在だったと思う。だからこそ、多くの人が彼に惹かれ、彼の生き方に感嘆し、各国からの文人・ジャーナリストたちが彼の記録を残してきたのだろう。自分の生命も考えも小さな存在だと知り、それでも「人と繋がる」ために自分の矮小な世界から脱していこうとする気持ちを強く持っていた人だったと思う。

 一方、先人の伝承や文化財、そして伝統芸能を破壊するタリバン。自分の価値観に充足するタリバンは、大国や周辺国の自国優先の思想から生まれた「現代社会の徒花」だと私は思う。
私はタリバンを認めない。その悪の華を放置することは、自分の中にある「悪」をも認めることになってしまうからだ。

    2022年2月16日  長倉洋海



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