アフガン情勢に関するメッセージ
2022年1月16日


「今日のメッセージ 2022/1/16」

 アフガニスタンで動きが出ている。パンシール川最上流部の町パリヤン、北のバダフシャン州の町イシカメシが解放されたという情報がツイッターに出たが、映像がないので真偽のほどはわからない。
しかし、山岳地帯の国民抵抗戦線が動き出しているようだ。
(ツイート1ツイート2

また、ウズベキスタンと国境を接する北部ファリヤーブ州で、ウズベク人タリバンらがパシュトゥーン人のタリバンを武装解除して地域から追い出したという情報があった(ツイートを表示)。

タリバンに綻びが見え始めているのは間違いないが、悲しいことに悪行は各地で続いている。笑いながら死体を引きずり、アフガニスタンでは敬われるべき年輩者である老人に暴力を振るう兵士もいる。それらの映像は見る側の心を傷つけるので紹介しない。それでも下記のリンクの映像は胸が痛くなるが、見て欲しいと思う。
パクティア州でタリバン兵が音楽家の楽器を燃やす映像だ。男性が暴行を受け服を破られ、自分の楽器が燃やされる。涙を堪えるようにそれを見つめる男性を笑い、うれしそうに携帯で撮っているタリバン兵。彼らは人の悲しみの姿に何も感じないようだ。(ツイートを表示

 アフガニスタンでは長い歴史の中で、言葉を紡ぐ人、楽器を奏で歌をうたう人、絵や工芸品に命を吹き込む人を大切にしてきた。そうした創作活動が人生を豊かにし、生活に潤いを与えてくれることを知っていたからだ。おなかを満たすことはできなくても、人に美しさや歓びを与えてくれる。
1993年、マスードは首都にロケット弾が打ち込まれる中でも、詩人、人文学者、科学者、音楽家などの芸術家のための基金を作り、彼らの医療費を免除するなどした。

 一方、自分たちの硬直した考えを唯一無二のものとし他者に強要するタリバン。両者の違いは、『価値観を強制するかどうか』だろう。
たとえば、マスードは女性のチャドル(ベール)について「それがいけない、と無理やり剥がしてしまえば、タリバンと同じことになります」と話していた。娘のマリアム・マスードも「ベールを被ろうと外そうと、それは自由なのです。それを強要するのが間違いだと思うのです」と話している。

 パキスタン国境に近いホストの街から送られた映像には驚かされた。タリバンの車両行進を取り囲むパシュトゥーン人の人々の数に圧倒される。
これほど多くの人が彼らを支持している・・・。これも現実なのだろう。(ツイートを表示
 
この動画で奇異なのは、集まっている民衆のほとんどが男性だということ。国民の半分は女性のはずなのに、ここにはほぼ映っていないのだ。これは、女性を男性の持ち物のように考えているパシュトゥーン人の慣習風土から来ているのかもしれない。女性は家にいるのだろう。

 パキスタンとの国境にまたがるパシュトゥニスタンには、パキスタン政府と戦い打倒しようとしている武装組織「パキスタン・タリバン運動(TTP)」がある。彼らはアフガニスタンのタリバンと表裏一体の関係だ。中でも女性については「女性に教育を与えるのは罪悪だ」とまで公言するほどだ。彼らが通学途中のマララさんを狙撃したのも、そうした考えからだった。女性に教育を与えると、自分たちの思い通りにいかなくなると思っているのだろうか。そして、それを支持する男たちが確実にいる。

 タリバンによるこんな悲しいニュースもあった。カブールのトロ・ニュースが報じているが、友だちの結婚式から車で帰る女性が検問所で、家族も同乗する中タリバンに撃たれ殺されたのだ。彼女は一家の大黒柱で間も無く結婚する予定だったという。
(↓クリックでニュースを表示)


この悲劇に続いて、パスポートセンターでは痛ましい事件があった。女性と子供がタリバンに撃たれたのだ。(ツイートを表示

 たくさんの人たちの拘禁も続いている。先日は拘束されたカブール大学の教授についてお知らせしたが、前政府の軍の将校で、女性刑務所の所長だったハザラ人女性アリア・アジズさんは逮捕されて4ヶ月が立つが消息がわからないままだ。


以前このメッセージに掲載した、パンシールで人々に熱く語りかけた女性を取材した記者も、タリバンに逮捕された。(ツイートを表示


 しかし、女性たちは黙っていない。各地で声をあげ続けている。

デモの最中、背中から銃で押されてもそれを払い除け抗議を続ける姿。銃を持つ兵士の前で声を上げる、その気迫に心を打たれる。
(関連ツイート1ツイート2ツイート3

バダフシャンからはこんな動画が届けられた。女性たちが色彩鮮やかな民族衣装で着飾り、伝統音楽の中で静かに抗議する姿が伝えられている。(↓クリックでツイート表示)


そう、人は誰でも素敵な歌を聞きながら、楽しく語らい、美しく生きたい。
それを誰も止めることなどできない。 たとえ銃で脅したとしても。

 一方で、何食わぬ顔で国連からの食料の配給を受けるタリバン兵士たちの映像もある。彼らも飢えているのは分かるが、暫定政権の兵士ならばまず困っている女性や子どもに渡すのが道義ではないのか。(ツイートを表示
私はこの写真を見て、マスードが生前、「自分たちはお腹が減っていても、まず人々に」と話していたことを思い出した。

 タリバン兵たちはパキスタンのマドラサ(神学校)で「戦闘の訓練を受けてアフガニスタンにやってくる」と聞いた。イスラムについて学ぶのではなく、戦闘の仕方を学んでやってくるということに衝撃を受けた記憶がある。
私は、字が読めないタリバン兵がいてもそれを批判するつもりはない。私も知らないことがたくさんあり、時には人として非常識な行ないをしてしまうことがままあるからだ。
しかし、人として大切なことを学んでいきたい、という気持ちだけは持ち続けている。人はどうあるべきか、何をしてはいけないのか。そうした心の芯がなければ、人は何でもしてしまうのではないだろうか。時には悪魔にもなれるのかもしれない。日本でも悲しい事件が続いている。

 マスードはいつも自分自身を問い、心の中の神と対話していたから、生き方がぶれることがなかった。
私もマスードのように懸命に、ぶれずに生きることができたら、と願っている。

    2022年1月16日 長倉洋海



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