「今日のメッセージ 2021/10/17」
タリバンの州知事の1人が、フランス人ジャーナリストに「アフガニスタンはどこかわかりますか」と問われ、机の上にあった地球儀を手に取ったが、どこかわからない。「ココですよ」と指さされ、「あっ、このグリーンのところがそうだね」と答える動画が投稿された。
> えっ、と驚いたが、知らないことは恥ずべきことではない。学んだらいいのだ。私が以前アマゾン先住民のアシャニンカ族と会った時、村のリーダーは日本がブラジルの裏側にあることを知らず、何日歩けば着けるのかと聞いてきた。その答えに笑いそうになったが、彼らは祖先からの伝承を知り、それを子孫に残してきた。そして、人は何をすべきか、何をしてはいけないのかを知っていた。
★「アフガニスタンはどこだろう」
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★『男女平等』を聞かれ、こんな回答が…
<日本語訳>
ジャーナリスト:「なぜ女性は平等な権利を持つことができないのですか?」
タリバン:「彼らは平等に生まれていない、それが理由です。私たちが女性に平等な権利を与えることを許可すれば、これらの生き物は次に男性も赤ちゃんを産むべきであると要求するでしょう。」
タリバンはかつての統治時代(1996-2001年)、歴史や地理、英語や芸術を学校の科目として認めなかったという。子どもたちに世界と繋がる方法を認めなかったのだ。それは大きな問題だが、タリバンにはそれよりももっと大切なことが欠けていると私は思う。
それは、人としての普遍的な視点であり、感情だ。添付の2枚の写真を見て欲しい。Twitterに投稿された、礼拝中の抵抗戦線の兵士の写真と、彼が家族と撮った写真だ。この写真に私たちは、「彼が戦闘で死んだら、この家族はどんなに悲しむだろうか」と思うはずだ。その気持ちが、人を無意味な殺戮や暴力に走らせない力になると思う。
しかし、タリバンもIS-Kも、多くの人々を巻き込むテロによって自分たちの野心を遂げようとしてきた。私がゾッとしたのは、以前のメッセージでも触れたタリバンの首都入城の凱旋記念パレードで、自爆テロ用のベルトをつけた自爆テロ部隊を行進させたことだ。彼らはテロを勢力拡張のための武器と考えているのだ。
先週のクンドゥスや昨日のカンダハルでのISによるシーア派モスクでの自爆テロでは、合わせて100人を超える人々が亡くなった。イスラム教徒が最も大切な礼拝と考える金曜礼拝の場だった。ISなどのスンニ派の過激派勢力は、シーア派を異端とし一方的にテロを繰り返してきた。しかし、大多数のアフガン人はシーア派を差別しない。マスードもシーア派のイスラム戦士たちと一緒に祈っていたのを見た。
今回のモスクでの自爆テロに対し、IS-Kと対立しているタリバンは、「治安部隊を動員して犯人を探し出し、イスラム法に基づいて裁く」と表明した。しかし、そのタリバンも、アフガニスタン国内でどれだけの虐殺、民族浄化行為を行なっているかは、このメッセージを読んでくださっている皆さんならよくわかっていると思う。
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ISもタリバンも、自分たちと違う人々の存在を許せず、殺していいのだと考えている。モスク爆破を報じた日本の大手新聞のデジタル版は「スンニ派とシーア派は対立している」と報じていて驚いたが、対立ではなく、一方的な攻撃なのだ。
「違うから対立がある」のではなく、「タリバンやISが、違いを許容できない」だけなのだ。
自爆テロで死んだ息子を背負う父親
カンダハールのモスクでの自爆テロの現場は血の海に
タリバンが同じ国の民であるシーア派の人々を守ろうとしていないのは明白だ。そんな彼らに「国」を統治する資格や能力があるのだろうか。政策も行き当たりばったりのものばかりだ。「男性医師は女性の体に触れていはいけない」という命令を出しているから医師が足りなくなり、女性医師に現場に戻れと言う。しかし、「女性が外で働くことはシャリアに反する」として女性の雇用を妨げ、女性医師を増やすために必要な女子学生への高等教育も与えていない。女性から仕事や学びを奪い自国の首を絞めているのは、他ならぬタリバン自身なのだ。
いまだに各地で人権侵害と暴力、虐殺を続けているタリバン。彼らが学ぶべきは、人の世の普遍ではないか。それは言い換えれば「他者への愛」。憎しみと対立に支配される世界は「闇と絶望」そのものだ。そこから人々を救うのは「愛」でしかない。それは、違いを認め共に生きようとする「気持ち」ではないだろうか。それがあって世界は回る。それが「世の普遍」ではないだろうか。破壊と暴力、憎しみからはどんな愛も生まれない。
2021年10月17日 長倉洋海
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