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MESSAGE

長倉洋海よりアフガニスタン情勢に関するメッセージ 2024.5.31

 アフガニスタンのゴール州で5月17日から18日にかけて大きな洪水がおき、少なくとも50人以上が亡くなり、2500戸が被害を受けて水もパンもない状況だと、通信社を含む海外メディアが伝えている。

ゴール州より前の5月10日には、パンシール渓谷の北にあるバグラン州とタハール州でも洪水が発生、死者が300人以上にのぼっている。タハール州での洪水を撮った村人の映像からは叫び声や悲痛な泣き声が流れてきて、胸が締め付けられた。

 現地紙「Hasht e Subh Daily」は、ゴール州の洪水で、中世イスラム建築のジャム・ミナレットが崩壊の危機にあると伝えている。私が訪れた1975年、観光パンフレットにも掲載されていた写真を見ていつか訪れたいと願っていた。訪れる機会はなかったが、1979年末のソ連軍侵攻に端を発したアフガニスタンの混乱の中で生き抜いてきた遺跡が姿を消すかもしれない。

<山岳部からの鉄砲水がゴール州の村に流れ込む瞬間。Xより>
<山岳部からの鉄砲水が
ゴール州の村に流れ込む瞬間。
Xより>

 ただ、洪水はアフガニスタンばかりではなく、西隣のイランでも東隣のパキスタンでも起きている。この地域一帯が乾燥地域で山に樹木が少なく、大雨が降ると鉄砲水になりやすいというが今までとは規模が違うようだ。

 

 それにしても、山間部で身を寄せ合い、慎ましい生活を送ってきた人々が、異常気象のために家や家畜ばかりか自らの命まで奪われなければならないのか。

 私たちが支援してきた「アフガニスタン 山の学校」があるパンシール渓谷ポーランデ地区も、人々は痩せた山間部の土地で羊や牛、鶏を飼い、杏や胡桃を収穫して、それを市場で売ってわずかな生活費を手にしていた。都会の近代的なモノや豊かな商品に囲まれる生活ではなかったが、故郷での家族との生活は満たされたものと感じた。それを壊したのは2019年に政権を握ったタリバンだが、その背後には「自分たちの野心や欲望のためには何をしてもいい」と考える時代風潮や、他民族を迫害・虐待しても世界は黙認するという思いがあるに違いない。

 5月17日には、悲しい事件も起きた。仏教遺跡のあるバーミヤンを旅行中の欧米観光客3人が殺害された(他にアフガン人も)。タリバンが受け入れている過激派組織は21もあり、その中の欧米を敵視するグループの仕業かもしれない。人が人を殺し、人心を荒廃させる行為が世界を覆っている。世界はこれからどこへ向かうのか、どこへ行こうとしているのだろうか。

 

 ミクロネシアの環礁の島カピンガマランギでは、マグロを始めとする海の幸やヤシやイモなどで自給自足の生活を行っていた。アマゾンの先住民は森の恵みで生き、全ての生命と共存する叡智を学んでいた。しかし、海にはさまざまな汚染廃棄物が流され、熱帯雨林は金採掘者たちに破壊されている。先住民リーダーのアユトン・クレナックの故郷のヒオ・ドーセ(甘い川、の意)は銅採掘企業(ドイツなどを含む多国籍企業)が作った廃棄物で汚染され、魚は死に、水が飲めなくなった。

 地中海に臨むギリシャでは、干ばつでオリーブの収穫が半分になり、フランスでは農家と工場の間で地下水の奪い合いが始まっている。南米のチリでは、銅抽出に必要な大量の水を使うことから地下水の枯渇が始まっている。「地球にやさしい」と喧伝されるハイブリット車は普通車の2倍の銅を必要とし、電気自動車だと4倍だという。一台あたりの排気ガスを減らしても中国だけで昨年の自動車生産台数は3千万台。現代社会の有り様を変えない限り、何も変わらないということなのだろう。

<ポーランデ川の流れを利用した電力を使ったストーブで暖をとりながら、その明かりで勉強するサフダル一家の子どもたちー2010年撮影>
<ポーランデ川の流れを利用した
電力を使ったストーブで暖をとりながら、
その明かりで勉強するサフダル一家の
子どもたちー2010年撮影>
<できたばかりの水道から水を飲む。山水を学校のそばの村に引いたものだ。自分たちで必要なものを作る。それが人の基本的な生活だろうー2014年撮影>
<できたばかりの水道から水を飲む。
山水を学校のそばの村に引いたものだ。
自分たちで必要なものを作る。
それが人の基本的な生活だろう
ー2014年撮影>

 先行きが明るいとは言えない現代社会だが、人とのつながりや人への希望が私を支えてくれている。山の学校の生徒とのこんな思い出がある。放課後、山で羊の放牧をする生徒が、私の手に何かを握らせた。見ると紙幣。驚いて戻すと「いいから。取っておいて」というではないか。驚いたが、それが少年なりの学校支援へのお礼だということに気づくと嬉しくなった。帰り際に、私のポケットにクルミや干しぶどう、干し杏、乾燥ヨーグルトなどを入れてくれる子どもたちもいた。

 

 一方で、私は彼らが心の支えにしている大切なものを、守ろうとすることへの手助けができるのだろうかと自問した。山の学校の子どもたちから教えられたのは、彼らと同じ時代を生きているということ。相手への敬意があって、心を開いてくれるということ。

その関係なしに、新しい未来は決して開かれないということだった。

2024年5月31日  長倉洋海

<教室が足りず、テントの教室で勉強していた一年生。2010年撮影>
<教室が足りず、
テントの教室で勉強していた
一年生。2010年撮影>
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