1952年~
1952年
北海道釧路市に生まれる。生家は雑貨店を営む。
小学生の頃、机の上に地球儀、壁には世界地図を貼って眺めていた。
中学生の進路希望のアンケートには「旅行家になりたい」と書いた。
1971年
釧路湖陵高校を卒業後、同志社大学法学部に入学。
キャンパスで「夢とロマンを求めて 華麗なる飛翔を」と書かれた探検部の立て看板に惹かれて入部。
1972年
探検部の遠征先に、ミクロネシアのカピンガマランギ島を選び、単身、向かう。
その際、中古のオリンパス・ペンF(ハーフサイズ)を購入するが、外付けの露出計がうまく使えず、大半は失敗。
そのあとカメラクラブにも入部して、現像と引き延ばしを覚える。
1975年
大学を休学。梅田の地下街で不眠不休のガードマンのアルバイトをして遠征資金を貯め、アフガン遊牧民の探査行に向かう。
その際、中古の一眼レフ・ペンタックスSPと広角28mと望遠135mを購入。
帰国後、通信社記者に写真を褒められ、写真の道を志す。
図書館で写真集を見るうちに戦場カメラマンに惹かれる。
1977年
同志社大学法学部を6年かけて卒業。時事信社に入社。写真部員として国会、スポーツ、事件などの現場で撮影をする。
1980年代
1980年
1月、会社を退社、フリーランス・フォトグラファーになる。
2月、黒人が参加する初の選挙が行われる南部アフリカのローデシア(現ジンバブエ)に向かう。
勝利した愛国戦線の戦士たちを撮影、イギリスの「ガーディアン」や「デイリー・メール」紙に掲載される。
4月にアパルトヘイトで揺らぐ南アフリカ、6月にソマリアの難民キャンプ、7月にレバノン内戦、
9月にソ連軍侵攻一年が経つアフガニスタン、11月にはラオス難民キャンプやカンボジアのクメール・ルージュを撮影、 マルコス独裁下のフィリピンなどを取材し、一年後に帰国した。
撮影した写真は「現代の眼」「朝日ジャーナル」「アサヒグラフ」「週刊サンケイ」などに掲載された。
1981年
6月、「アサヒカメラ」に「解放戦線の兵士たち」を12ページにわたり発表。
8月、初の写真展「反乱者たちの肖像」(銀座ニコンサロン)を開催。
初の写真集「ゲリラ七つの戦線」(未來社)を出版。
1982年
1月から5ヶ月にわたり、中米エルサルバドルで政府軍とファラブンドマルチ民族解放戦線との内戦を取材。
難民キャンプ、市場、農村などで生きる市井の人々を記録。難民キャンプで出会った少女へスースをその後も取材し続ける。
写真は「エコノミスト」誌の表紙など、国内外の多くの雑誌で取り上げられる。
9月、レバノンを取材中、パレスチナ難民虐殺に遭遇、撮影。
10月、写真展「エルサルバドル―内戦と人々」(新宿ニコンサロン)を開催。
1983年
3月、「内戦・エルサルバドルの民衆」(晩聲社)を刊行後、
アフガニスタンに侵攻したソ連軍と戦うイスラム抵抗運動の若き司令官マスードのもとへ5000m級の峠を5つ越えて向かう。
100日間、行動を共にする。以来、17年に亘り取材を続ける。
5月、日本写真協会新人賞を受賞。
1984年
マスードの写真をドイツの「シュテルン」、米国の「ニューズウイーク」、フランスの「フィガロ」などに発表。
3月、「峡谷の獅子―司令官マスードとアフガンの戦士たち」(朝日新聞社)を出版。
同名写真展を銀座ニコンサロンにて開催する。
同3月、内戦下のレバノンを取材、7月にはイスラム革命下のイランを取材。
12月から翌年にかけて中米エルサルバドルを再び取材する。
1985年
写真展「エルサルバドル―内戦と人々」(新宿ニコンサロン)を開催。
マルコス独裁政権下のフィリピンを取材(~86年)。ジフテリアにかかり、マニラの市立病院に入院。
マルコス政権の崩壊とアキノ政権の誕生を目撃。
1986年
2月、写真展「エルサルバドルⅡ―大国の裏庭から」(新宿ニコンサロン)開催。
「フィリピン群像1985~86」(銀座・大阪の各ニコンサロン、リバティ大阪)を開催。
「フィリピン・バヤンコ(我が祖国)」(れんが書房新社)出版。
フィリピン反政府ゲリラ「新人民軍」を取材。
1987年
横浜・寿町に住み込み、フィリピンからの出稼ぎ労働者を取材。
その写真展を山谷で開催したことをきっかけに、山谷の日雇い労働者を取材。
写真展「山谷に生きる」(早稲田画廊)、
写真展「フィリピン・バヤンコ(我が祖国)」(リバティ大阪)を開催。
「激動の世界を駆ける」(講談社文庫)を出版。
1988年
ソ連軍撤退が決まったアフガニスタンで、マスードと再び100日を過ごす。
フィリピンのスモーキー・マウンテン(ゴミ山)、サトウキビ労働者を取材(89年も)、
日本で働いていた出稼ぎ労働者の故郷を訪ねる。
テレビ朝日「CNNデイウォッチ」キャスターを務める(~89年まで)。
1989年
写真展「若き獅子マスード アフガニスタン1983~88年」(新宿ニコンサロン)、
写真展「戦場の子どもたち」(リバティ大阪)を開催。
中米エルサルバドルを三たび取材(~90年)。
写真集「若き獅子マスード」(河出書房新社)出版。
1990年代
1990年
NHK教育テレビ「わが心のエルサルバドル―報道写真家長倉洋海の見た内戦」放映。
写真展「サルバドル 救世主の国」(ドイ・フォトプラザ)開催。
7月、3度目のマスード取材、国土再建に取り組む姿を撮影。
写真集「サルバドル 救世主の国」(JICC出版刊)で日本ジャーナリスト会議奨励賞を受賞。
写真集「Dear Friend 紛争地の子どもたち」(JICC刊)出版。
1991年
イスラエル占領下のパレスチナ難民キャンプを取材。
「東南アジアのイスラム」をテーマに、タイ、マレーシア、フィリピン、インドネシアに向かい、スールー、タイ南部のイスラムゲリラなどを取材。
写真展「紛争地の子どもたち」(新宿コニカプラザ)を開催。1万3千人の入場者を記録。
1992年
「マスード、首都に迫る」の報にアフガニスタンに駆けつけ、マスードと共にカブールに入城。
岩波新書「フォト・ジャーナリストの眼」を出版。
9月、写真展「マスード 愛しの大地アフガン」(新宿コニカプラザ)開催。入場者が2万人を越える。
NHK教育テレビで「革命家マスードの闘い―写真家長倉洋海のアフガン報告」を放映。
冬、長く入国禁止だった南アフリカを訪れ、アパルトヘイト廃止に向かう姿を捉える。
金鉱労働者ソロモンとその家族を撮影。
1993年
3月、「マスード 愛しの大地アフガン」により第12回土門拳賞を受賞。
6月から9月、ブラジルを訪れ、先住民自立運動の指導者アユトン・クレナックと会う。
アマゾンの先住民族ヤノマミ族、クリカチ族、ガビオン族を取材。
11月、写真展「南アフリカに吹く風」(銀座ニコンサロン)を開催。
1994年
再び南アフリカを取材、大統領に黒人初のマンデラ氏が当選するのを見る。
写真展「いま、人間の世紀へ―南アフリカ・アマゾンから」(コニカプラザ)開催。
写真集「南アフリカ」(平凡社)出版。
東川町国際写真フォトフェスティバル特別作家賞受賞。
NHK「旬の人、旬の話」に出演。
1995年
内戦終結後のエルサルバドルを取材。
戦いが収まらないアフガニスタンを訪れ、マスードを取材。
7月、ブラジルを再訪、アユトン・クレナックとアマゾン各地を旅する。
11月、NHK教育テレビで「森の声を訊け―長倉洋海のアマゾン報告」を二日連続で放映。
NHK正月特集番組「地球シンフォニー」に出演。
1996年
7月、写真展「いま人間―長倉洋海の出会った人と世界」(釧路市生涯学習センター)を開催。
写真集「地を這うように―長倉洋海全写真1980-1995」(新潮社フォトミュゼ)を出版。
NHK教育テレビで、「未来潮流 長倉洋海の『辺境』から現代を照射する」を放映。
写真展「人間が好き―アマゾン先住民からの伝言(新宿コニカプラザ&札幌コニカ)開催。
写真集「人間が好き―アマゾン先住民からの伝言」(福音館書店)を出版。
1997年
1月、アフガニスタン取材。首都撤退後、北部で指揮を執るマスードを撮影。
5月、3度目のアマゾン先住民取材。
写真集「人間が好き―アマゾン先住民からの伝言」で第44回産経児童出版文化賞を受賞。
NHK衛星放送「平成古寺巡礼」に出演。
9月、写真展「獅子の谷へ―アフガン1995-1997冬」(銀座ニコンサロン)を開催。
NHKで「長倉洋海・わが心の旅―内戦の子どもたちはいま」を放映。
フジテレビ・ニュースジャパンの「祖国巡礼」にて、フィリピン、パレスチナ、南アフリカを取材。
1998年
写真集「ともだち―Dear Friend」(偕成社)出版。
写真絵本「森の子どもたち」(ひさかたチャイルド)出版。
「鳥のように、川のように―森の哲人アユトンとの旅」(徳間書店)出版。
NHK教育テレビ金曜フォーラム「目を向けよう。世界の子どもたちの現実に」出演。
10月、写真展「Vive Children-1980-1998」(東京・大阪・札幌コニカプラザ)開催。
1999年
ピースボートに乗船、中国、ベトナムを取材。その後、スリランカを取材。
6月、民族紛争が続くバルカン半島のコソボを取材。帰郷したアルバニア系難民ザビット一家と出会う。
夏、マスードのもとを訪れる。
12月、写真展「コソボへ―homecoming」(銀座ニコンサロン)開催。
写真展「祈りの大地」(島根県立博物館)を写真家・並河万里氏との二人展として開催。
NHK「堂々日本史」にゲスト出演。
2000年代
2000年
1月、写真展「風と光の中で―紛争地の子どもたち」(銀座アートグラフ)開催。
2度目のコソボ取材。
NHK・BS「世界悠々―トルコ」に出演。
トルコを取材し、NHKにて「長倉洋海のトルコ・シルクロード」放映。
NHK・BS「探検家のたどった道シリーズ―密林の宇宙」にて、ベネズエラを訪れる。
6月から8月にアフガニスタンを訪れ、マスードを取材。
9月、写真展「コソボの少年」(キャノンサロン銀座、大阪、名古屋、福岡、札幌を巡回)開催。
写真集「コソボの少年」(偕成社)出版。
12月、写真集「獅子の大地」(平凡社)出版。
2001年
1月、写真展「アフガンの大地を生きる」(富士フォトサロン。5都市を巡回)開催。
7月、NHK・BSで「長倉洋海の南米体感旅行 変わりゆく先住民」を放映。
10月、82年から撮り続けた難民キャンプの少女へスースの結婚式に参列するため、エルサルバドルへ向かう。
テレビ静岡「テレビ寺子屋」に出演。NHK「十代しゃべり場」に出演。
11月、自爆テロに斃れたマスードの墓参り。タリバーン政府の崩壊を目撃する。
NHK正月特集番組「いま命を語ろう」に出演。
2002年
4月、写真展「ワタネ・マン 私の国アフガニスタン」(新宿紀伊国屋画廊)開催。
写真集「ワタネ・マン」(偕成社)を出版。
6月、写真展「アフガンの大地を生きる」により日本写真協会年度賞。
新しい国づくりが始まったアフガニスタンを取材、パンシール渓谷の「山の学校」を初めて訪れる。
8月、NHK教育テレビで「マスード 敗れざる魂―長倉洋海の見続けたアフガニスタン」放映。
9月、写真展「ヘスースとフランシスコ」(富士フォトサロン。銀座、大阪、札幌を巡回)開催。
「へスースとフランシスコ―エルサルバドル内戦を生き抜いて」(福音館)出版。
テレビ朝日「徹子の部屋」に出演、マスードとアフガニスタンについて語る。
10月、マスードの追悼写真集「獅子よ瞑れ―アフガン1980-2002」を自費出版。発売は河出書房。
「アフガニスタン敗れざる魂 マスードが命を賭けた国」(新潮社)出版。
追悼写真展「獅子よ瞑れ」を新宿コニカプラザで開催。
以後、京都市美術館、福岡アジア美術館、札幌、仙台、釧路など全国8都市を巡回する。
「子どもたちのアフガニスタン」(岩波ブックレット)出版。
2003年
3月、京都清水寺で写真展「子どもたちのアフガニスタン」開催。入場者10万を記録。
6月、再びコソボを取材。ザビットの8人目の子の名づけ親になる
9月、マスードの追悼記念シンポジウムに参加の帰途、アフガニスタン・パンシール渓谷の山の学校を再訪。
学校支援のためのNGOを立ち上げることを決意。
10月、「へスースとフランシスコ―エルサルバドル内戦を生き抜いて」により、さがみはら写真賞受賞。
NHK「十代しゃべり場」に出演。
2004年
2月、同志を募って「アフガニスタン山の学校支援の会」を立ち上げ、その代表となる。
第1回公式訪問。以降、2008年を除き、毎年訪問。
4月、写真展「ザビット一家、家を建てる」(新宿紀伊国屋画廊)開催。
写真集「ザビット一家、家を建てる」(偕成社)出版。
NHK出版からの依頼で、シルクロード取材開始。(2006年から2008年まで自費でシルクロード取材を継続。)
タクラマカン砂漠、チベットやパミール高原、トルコなど約4万キロを走破する。
7月、ブラジルの辺境ノル・デスチ地方を取材。
9月、NHK「課外授業 ようこそ先輩」で、出身校の釧路市立共栄小学校の児童に「世界に広がれ、笑顔の力」を授業。
(翌年、カナダ・バンフの国際テレビ祭で青少年・ファミリー部門の最優秀賞ロッキー賞を受賞。)
写真集「Tears 涙―誰かに会いたくて」(PHPエディターズ)、「きみが微笑む時」(福音館)出版。
写真展「Smile-微笑み」(ギャラリーTom)、「地球-ぼくらの大地」(東京ちひろ美術館)開催。
日本の取材を進め、秋田、沖縄などを訪れ撮影。
2005年
1月、写真展「ぼくが出会った子どもたち」(JCII)開催。
2月、「地球を生きる子どもたち」(渋谷Bunkamuraザ・ミュージアム)に招待される。
世界の写真家200人が60数ヶ国で撮影した作品が展示された。静岡、松本、新潟へ巡回。
3月、札幌・紀伊国屋書店オープン企画で「長倉洋海の見たシルクロード」展を開催。
4月、写真集「ザビット一家、家を建てる」により、講談社出版文化賞受賞。
受賞記念写真展「ザビット一家、家を建てる」をコダックサロンで開催。
5月、ラオスを取材。6月、シルクロード取材でチベットを撮影。
写真集「新シルクロード」(NHK出版。四人の写真家による共著)出版。
写真展「地球 ぼくらの大地」(安曇野ちひろ美術館)開催(~2006年)。
2006年
2月、「ダークサイドからの逃走」(水戸芸術館現代美術ギャラリー)に、ユージン・スミスやオノ・ヨーコとともに招待出品。
9月、南仏のペルピニャン国際フォトジャーナリズム祭に、日本人初の招待写真家として招かれ、
写真展「マスード 敗れざる魂」を開催。大きな反響を呼ぶ。
12月、写真展「長倉洋海の見たシルクロード」(紀伊国屋画廊)開催。
写真集「アフガニスタン山の学校の子どもたち」(偕成社)、写真集「西域の貌」(山と渓谷社)出版。
海のシルクロード取材で、イエメン、ドバイ、シリアを訪れる。
2007年
4月、写真展「シルクロード―長倉洋海の出会った人と風景」(新宿コニカプラザ)開催。
5月、NHK「スタジオパークからこんにちは」に出演。
7月、中央アジア、コーカサス、トルコなどを取材。
12月、南部アフリカのアンゴラとモザンビークを取材。
写真展「子どもたちの大地」(鶴岡アートフォーラム)を開催。
「ぼくの見てきた戦争と平和」(バジリコ)出版。
2008年
5月、ネパール・ドルポ地方、7月にキルギスタン、ウズベキスタンを取材。
9月、道立釧路芸術館で写真展「微笑みの降る星」を開催。
2009年
1月、写真展「人間交路―シルクロード」(新宿コニカプラザ)開催、同名写真集を毎日新聞社から出版。
5月、地球温暖化をテーマにグリーンランドを取材。
9月、NHK「ラジオ深夜便」ナイトエッセイに出演。
10月、写真展「微笑みの降る星―ぼくが出会った子どもたち」(日本橋三越百貨店、福井市美術館)開催。
北海道教育大学釧路校特任教授に就任(〜2010年)。
11月、キャノン・コレクション展「シルクロード―人間の貌」(キヤノン品川Sギャラリー)開催。
BSジャパン「写真家たちの日本紀行―秋田県鹿角」に出演。
写真集「シルクロードの子どもたち」(毎日新聞社)出版。
写真家生活30周年を記念した写真集「地を駆ける」(平凡社)を出版。
NHK関西「ゆうどきネットワーク・いえへ帰ろう」出演。探検部時代の恩師、先輩後輩を訪ねる。
2010年代
2010年
1月、写真展「紛争地の子どもたち」(青梅市立美術館)開催。
高野山夏季大学に招かれ、講師を務める。
11月(〜2011年1月)学生時代に訪れたミクロネシア最南端の島カピンガマランギ島を、38年ぶりに再訪。
2011年
7月、写真展「北の島・南の島」(コニカミノルタプラザ特別企画展)を開催。
写真集「北の島グリーンランド」と「南の島カピンガマランギ」を偕成社より同時出版。
東日本大震災で被災した東北三県を訪れ、子どもたちを撮影。
2012年
2月、東北の子どもたちの作文を載せた「だけど、くじけない―子どもたちからの元気便」(NHK出版)を出版。
3月、写真展「子どもたちの元気便」(新宿コニカミノルタプラザ、札幌、北九州市)を開催。
9月、ルーマニアを取材。その帰途、コソボのザビット一家を訪ねる。
NHK「視点・論点 コソボ―ある家族との再会」に出演。
2013年
1月、再度、東北三県の被災地を取材。
8月、パプアニューギニア、メキシコ、チャド、アフガニスタン、スリランカ、トルコを取材。
9月、写真展「地を駆ける」(釧路市美術館)開催。
東北の被災地の子どもたちを題材にした「お~い、雲よ」(岩崎書店)出版。
10月、ルーマニアを取材。「世界のともだち ルーマニア―アナマリアの手作り生活」(偕成社)を出版。
11月、毎日新聞に全面特別企画「その先の世界へ」(全6回)掲載。
2014年
1月、「フジ・フォトコレクション」で101人の写真家に選ばれ、全国の美術館を巡回。
4月、マスード周辺の約50人のインタビュー集「マスード 伝説の司令官の素顔」(日本語版はアニカ書房)に写真と解説を提供。
9月、写真展「その先の世界へ」(銀座、大阪、札幌、仙台のキャノンサロンを巡回)開催。
詩人谷川俊太郎氏の詩と写真を併せた「小さなかがやき」(偕成社)出版。
写真集「その先の世界へ」(クレヴィス)を出版。
メキシコを取材。「世界のともだち メキシコ―織物の町の少女リセット」(偕成社)出版。
「アフガニスタン ぼくと山の学校」(かもがわ出版)出版。
2015年
1月、日本海・東北などの雪国を取材。
3月、世界最寒のマイナス71.2度を記録したシベリアのサハ共和国を取材。
5月、写真展「その先の世界へ」(武蔵野吉祥寺美術館、長野小海町高原美術館、横浜アース・プラザを巡回)開催。
7〜8月、故郷・釧路の実家で、世界を感じ伝えるための「長倉商店塾」夏期講座開講。
以降、年1回の集中講座と月1回のミニ講座等を開催。
9月、キューバを取材。
2016年
5月、オーストラリア取材。
7月、サハ共和国の現代アート美術館のビエンナーレに招かれ、写真展「地球の子どもたち」を開催。
9月、ペルーを取材。
光村図書「中三国語」に「ヘスース エルサルバドル内戦を生き抜いて」を書きおろす。
写真絵本「世界は広く、美しい―世界をつなぐ色」(全6巻。新日本出版)を刊行開始。
写真絵本「いのる」(アリス館)を出版。
2017年
2月、セレクション集「Hiromi Nagakura」(全5巻。未來社)を出版。
3月、写真展「フォトジャーナリスト 長倉洋海の眼―地を這い、未来へ馳ける」(東京都写真美術館)開催。
4月、「アフガニスタン山の学校支援の会」第2期の活動を開始。
8月、NHK ETVにて「アフガニスタン 山の学校の記録―マスードと写真家長倉洋海の夢」を放映。
10月、カンボジアとベトナムを取材。
写真絵本「はたらく」(アリス館)を出版。
2018年
2月、シベリア・ヤマル半島のトナカイ遊牧民ネネツの冬を取材。
4月、アフリカのマリ共和国を取材。
8月、フィリピン山岳民族取材。
写真絵本「まなぶ」(アリス館)出版。
2019年
4月、アフガニスタン山の学校を訪問、同時に記録映画の撮影。
8月、ネネツ遊牧民の夏を取材。
写真絵本「つながる」(アリス館)出版。
2020年代
2020年
2月、カリブ海のハイチを取材。
10月、マスード財団よりマスード没後20年の写真集を依頼され、ペルシャ語&英語版の製作を始める。
写真絵本「さがす」(アリス館)出版。
「たくさんのふしぎ」(福音館)シリーズにて「トナカイに生かされて―シベリアの遊牧民ネネツ」出版。
2021年
6月、写真絵本「ともだちみつけた!」シリーズ「学校が大好き アクバルくん」(アリス館)を出版。
6〜7月、首都陥落直前のアフガニスタンに向かう。マスードの長男アフマッドと再会。山の学校訪問。
8月、写真展「MASSOUD」(商店塾ギャラリー)。
9月、写真集「MASSOUD」日本語版(一部ペルシャ語も表記)を部数限定製作。
12月、「マスードの戦い」(河出文庫)の増補新版を出版。
2022年
3月、「アフガニスタン 敗れざる魂」(新潮社)の増補新版「アフガニスタン マスードが命を懸けた国」を白水社から刊行。
4月、写真絵本「ともだちみつけた!」シリーズ「お祭りが大好き パヤベくん」(アリス館)を出版。
5月、マレーシアの漂海民バジャウ、山岳民族クラビットを取材。
2023年
1月、写真絵本「ともだちみつけた!」シリーズ「草原が大好き ダリアちゃん」(アリス館)を出版。
8月〜11月、ブラジル・サンパウロ市で写真展〝Hiromi Nagakura até a Amazônia com Ailton Krenak”(邦題:アマゾンへ アユトン・クレナックとともに)をTOMIE OHTAKE INSTITUTOで開催予定。
9月、東京都写真美術館にてフォト・ドキュメンタリー映画「鉛筆と銃—長倉洋海の眸」(河邑厚徳監督)が公開される。以後、釧路市、横浜市、大阪市、神戸市、京都市などを巡回中。
10月、ブラジル・サンパウロ市で写真展『Hiromi Nagakura até a Amazônia com Ailton Krenak』(邦題「長倉洋海 アユトン・クレナックとアマゾンをいく」(於:大竹富江文化センター)が始まる。アユトンや20〜30年前に撮影した5つの先住民族からのゲストとワークショップ等のイベントを行なう。2024年11月まで、他3都市を巡回。
12月、青少年文化の向上に貢献があった人に与えられる「第44回巌谷小波文芸賞」を受賞。
2024年
1月、新宿シリウスギャラリーで新年企画展「地球に謳う」を開催。
2月、ブラジルでの写真展がリオデジャネイロ市で巡回開催。国立銀行文化センターにて160点の作品を展示。2都市6ヶ月間で18万人を超える入場者を数えた。写真展は6月から首都ブラジリア、10月からはアユトンの故郷に近いベロオリゾンチを巡回する。
7~9月、北海道立釧路芸術館にて写真展「地に 人に 写真に旅する」を開催。写真だけでなく、全著作や世界各地から持ち帰った私物なども展示。
7~9月、北海道立釧路芸術館にて写真展「地に 人に 写真に旅する」を開催。写真だけでなく、全著作や世界各地から持ち帰った私物なども展示。