2024年 リオデジャネイロ展報告
私のブラジルでの写真展『長倉洋海 アユトン・クレナックとともにアマゾンを行く』展は、昨年10月のサンパウロに続き、今年2月28日からリオデジャネイロで展示が始まりました。会場は国立ブラジル銀行文化センター。吹き抜けのエントランスホールの3階から私の写真3点を使った巨大なバナー(布)が垂らされ、入場者はその大きさに圧倒されていました。写真展はセンター2階の5つのスペースを使って展示され、そのパネル数は160点。巨大な金庫がある二つの小部屋には壁一面に写真が伸ばされ大迫力でした。奥まった小部屋では、私が40年かけて撮ってきたアフガニスタンのマスードやエルサルバドルのヘスース、コソボのザビット一家、シルクロードの人々や阿寒の光景など私の代表作とも言える200点の写真がスライド上映されていました。
ブラジルのテレビや新聞が大々的に取り上げたこともあって、大勢の人が見にきてくれました。目立つのは家族連れ。抱きかかえた幼子に写真を見せながら語りかける母親、高校生や大学生の若者たち、男女それぞれの同性カップル、どの人も真剣な表情で見入っていました。その姿から「先住民の姿に向き合おうとする気持ち」や「未知の文化に向ける好奇心や共感」が見え、ブラジルという国の若い活力も感じることができました。
私の姿を認めると、「表情がとても素敵です」「先住民の美しく生きる姿に感じるものがありました」と話しかけてくる人が多く、こどもたちは私に気づくとにこやかに笑顔を浮かべてくれました。10人近くの会場の監視員がいましたが、入口に立っていた案内係の人は「朝からすごい数の人が来ています。アメーズィング」と握手とハグを求めてきました。
アユトン・クレナックをはじめとする先住民たちとの5日間にわたるオープニング・イベントを終えた私は、アマゾンのセラード(草原)に暮らすクリカチ族の村を20年ぶりに訪ねることにしました。昨年のサンパウロ展にやってきたクリカチ族のプルイとサルッチがクリカチ族の写真を見るなり、「どうしてこれだけなの?もっと撮ったでしょう」と言った言葉が心に残っていたからです。日本で200枚以上のプリントを用意してきたので、クリカチの村を訪れ、ミニ写真展を行なうつもりでした。ちょうど現地では伝統的な成人式が終わるというタイミングだったので、大慌てで彼らの村に向かいました。ブラジリアで飛行機を乗り継いで、さらに車で2時間、クリカチの村に着いたのは夜の8時でしたが、村の集会場で到着を待っていてくれた300人近くの人たちの姿に感動をおぼえました。私を覚えていて、「ナガクラ 、ナガクラ 」と言ってくれる人たちとの抱擁は延々と続きました。
翌日、集会場の壁に200枚以上の写真を展示しましたが、その翌日にはほとんどの写真がなくなりました。写っている人やその家族が持ち帰ってしまったからです。大きな会場での展示も素晴らしいですが、こうして撮った人たちに直接、見てもらい喜んでもらえる写真展もいいなあと心から思いました。
リオデジャネイロでの写真展は5月28日で終わり、6月末からは首都ブラジリアでの展示が始まります。それには参加しませんが、9月末から始まるミナジェライス州の州都ベロオリゾンテのオープニングには私も参加する予定です。そこはアユトンの故郷。彼の村を再来し、村人たちと会えるのを楽しみに待とうと思っています。
ブラジルにはアルミや金、木材、大豆やトウモロコシなど多くの資源があるため、ブラジル人たちは先住民の土地を奪いながら開発を進めてきました。その資源の多くは日本にも輸出されていますが、開発の最前線の姿を多くの日本人は知りません。それまで開発を是認してきたブラジル人たちの間で「今のままではいけない」と思い始める人が増え、それが今回の写真展開催にも繋がりました。もちろん、この20年の間に、南米を代表する哲学者として認められるようになり、大きな影響力を持つようになったアユトンが「ブラジルの人たちに、ナガクラ の写真から人間としての共感を感じて欲しい」と各界に働きかけてくれたことも写真展を成功に導いてくれました。
ブラジルも世界も変わり始めています。しかし、「ブラジルのことを地球の裏側」としてしか捉えられない日本。同じ地球で起きているという意識が薄い日本は、その流れから取り残されているように思えてなりません。今回の写真展を機に、絶版になっていた拙書『鳥のように、川のようにー森の哲人アユトンとの旅』の再版を働きかけたのですが、どの出版社も応じてくれませんでした。しかし、私はこの写真展をヨーロッパでやりたいと願っています。それが成功すれば、きっと日本でも「やりたい」と声が上がると思うのです。
アユトン、エリザ、アンジェラなど友人たちの尽力で開催されたブラジル展のおかげで、クリカチ族への再訪が叶い、何より写真展の会場で多くの人々の熱い思いと前向きな情熱を感じることができた旅は、忘れられない充実したものとなりました。これからも彼らの姿や思いを伝えていきたいと思っています。
2024年5月1日 長倉洋海