支援を始めて 10 年が経ち、地域の疲弊した経済状態も少しずつ改善され、村人の生活は向上していった。川の流れを利用して発電し各家庭へ電気が届くようになった。農地を広げ、杏やリンゴ、クルミの木を植えるようになった。当初は町の高校に通わせることに難色を示していた家庭も子どもを高校に送り出すようになった。
一番、大きな変化は 5 年がかりで新校舎ができたことだ。2005 年に中学を併設してからずっと教室がずっと足りず、テントやコンテナを教室代わりにしてきたのだ。新校舎ができ教室が増えても子どもたちの仕事は変わらない。幼子の子守り、農作物の収穫の手伝い、家畜の世話、夏には絨毯を洗い、冬の家の雪かきがあった。
故サフダル校長の長女ファトナの絵には、サッカーやブランコで遊ぶ子や、木の巣にヒナに餌を運ぶ親鳥、子を抱き上げる母とそれを見守る父親が描かれていた。長く戦火に苦しんできた人々の平和を願う気持ちが描かれていた。